
こんにちは。
本日の担当は、恵莉ひなこです。
さて、いきなりですが出産しました。
前回の担当記事で、4月に出産予定と書いたのですが
正確には、出産予定日は4月20日。
実際の出産日は3月27日。
まさかの正産期に入る前、いわゆる早産になってしまいました。
早生まれになるとは予想外すぎた……!
というわけで、今回は出産までの模様をダイジェストでお送りします。
※長文ですので、お時間あるときにどうぞ!
3/26 13:30~16:00 産院にて、両親学級を受ける私は旦那の立ち会い出産を希望していたんですが、
その条件が産院が開く両親学級を旦那と共に受講すること。
というわけで、この日は旦那が妊婦ジャケット体験をしたり、
立ち会いの心得を学んだり、陣痛時のマッサージ方を習ったり。
病室や分娩室の見学をしたりして、来月には此処にいるんだなと
考えたりしていました。
3/26 16:00~16:40 遅い昼食旦那と共に、ファミレスで遅い昼食を食べました。
赤ちゃんが生まれたら外食なんてできなくなると聞いていたので、
外に出たときは外食するって決めていたのです。
3/26 17:00前後 破水ファミレスを後にして、買い物をするためスーパーに向かっていたんですが、
その道中で破水しました。
ところが、そのときの私は最初、尿漏れかなと思ったんですね。
妊婦は膀胱が胎児によって潰されているので、尿漏れはよくあります。
とりあえず旦那だけでスーパーに行ってもらい、
私は自宅よりも近くにあった実家に寄ってトイレを済ませようとしました。
……が。
実家に移動する際の道ばたで、尋常じゃない量の水らしき何かが
ドバドバ出る。尿漏れのわけがないと流石に自覚する量でした。
(しかし、その全てをそのとき履いていたタイツが吸収してくれました)
焦りながら実家に到着し(誰もいなかった)、確認してみてびっくり。
真っ赤な水がとめどなく出ている。
……皆さん、破水って透明な液体が出てくるイメージじゃないですか?
私は違ったんです、真っ赤でした。
どこにそんなに入ってたの?って量の血液と水が、じゃんじゃか出てきてます。
厚手の黒タイツを履いてなかったら、道ばたで大騒ぎだったと思います。
間違いなく救急車を呼ばれていたんじゃないでしょうか。
3/26 17:30 産院に連絡ああこれは破水だわと思いながら、産院に電話。
ところが、この時点で痛みがまったくないので非常に冷静でした。
破水したという事実よりも、実家の廊下とリビングが血だらけになっていることが
気になったり、ファミレスで破水しなくて本当に良かったと安堵したり。
とにもかくにも、破水かどうかの確認のため産院に行くことになりました。
3/26 18:00 入院決定産院までは、バスタオルを二枚、股の間に押し当てて徒歩移動。
実家から産院がとても近かったので、タクシーを呼ぶより
歩いていった方が明らかに早かったんです。
でも、歩いてる最中も破水は続いているので、バスタオル必須。
傍目から見たら異様な光景だったと思いますが、
人目を気にしている余裕はありませんでした。
産院に着いたらすぐに分娩台に乗せられて、破水かどうかの確認。
即座に入院が決定しました。
破水してしまった場合、細菌感染の恐れがあるため
速やかに入院→出産コースなんですよね。
ただし、この時点でも私はなんの痛みも感じていないため、
翌朝までに陣痛が来ない場合は陣痛促進剤を打つと言われました。
3/26 18:30~ 病室でまったり特にすることもないので、まったり。
母に入院の連絡を入れたり、エレ女メンバーに後は任せたって連絡をしたり、
バッグに入れたままだった小説を読んだりしていたような。
幸いなことに、入院用の荷物はもう家にまとめてあったので、
旦那にバッグを持ってきてもらうだけで済みました。
その後、旦那はいったん帰宅。
翌日は朝9時以降に来てくれれば充分だよ、等と話して別れました。
3/27 0:00~ 陣痛が始まる徐々にお腹が痛くなってきました。
7分間隔くらいだったと思います。まだ全然耐えられるレベル。
陣痛が始まったので、促進剤を使わなくて良くなったとホッとしました。
促進剤、すごく痛いと評判ですからね……。
今のうちに寝ておくようにと言われ、素直にベッドに入って目を閉じました。
3/27 3:30 痛みで目が覚める激痛で目が覚めました。
寝ていられるか。
3/27 3:30~ 耐える初産って、とにかく時間がかかると言われています。
陣痛にひたすら耐える時間が、平均で10~15時間続くとか。
なので私も、それくらいこの痛みに耐えなければいけないんだと思ったんです。
このとき、陣痛間隔は5分程度だったでしょうか。
朝の5時半に様子を見に来ると助産師さんが言っていたので、
それまでは耐えようと決意し、病室で一人のたうち回ることに。
陣痛始まって、まだ3時間半しか経っていませんでしたからね……。
この、一人で耐える時間がまあ長かった。
痛みを紛らわせるために、色んなことをしました。
あたたかいお茶を入れて飲んだり、
妹にロキソニン飲みたいってLINEしたり、
Facebookに寝られるか!って愚痴を書き込んだり、
トイレにこもってみたり、
手帳に震える字で現状を書き連ねてみたり、
熱を測ってみたり、
母に延々と痛い痛いとLINEしたり。
3/27 5:20 ナースコール冷や汗がとまらなくなって、目標の5時半を目前にギブアップ。
「お腹が痛いので、湯たんぽください……」とゼイゼイ言いながらナースコール。
経過を見ようということで、陣痛室に行くことになりました。
3/27 5:30~6:00 地獄陣痛室とは、陣痛に耐えるためにある部屋のことです。
痛みを紛らわすためのグッズが色々あって、見学時は使うのを
楽しみにしていたんですが、そんなもの一切何も使う暇はなかったですね。
陣痛室に着いて子宮口を見た助産師さんが一言、
「あら、もう産まれるわ」って言ったときは心底驚いた。
続いてもう一言、「一人でよくがんばったね!?」って。
……一人で耐えなくて良かったの……!?
だってまだ陣痛始まってから5時間半しか経ってないよ!
速効で旦那に呼び出しの電話が行き、分娩室の準備で助産師さんがバタバタ、
私はもう産まれると聞いて気が緩んだのか、途端に痛みの我慢ができなくなってくる。
「痛い」「ああああ」を交互に繰り返して、とにかく呻く。
それしか言葉が出てこない。
いきみたいけど、「まだいきんじゃ駄目」と言われて我慢する地獄。
本当に地獄でした、陣痛室にいる時間が一番きつかった。
陣痛がいったん引いて、またやってくる時の恐怖といったら。
「やだ」と2回くらい、「もういい」を1回言ったと記憶しています。
立ち会い出産なので旦那の到着を待っていたんですが、
そんなことどうでもよくなる痛みだったなあ……。
3/27 6:00~ 分娩台へ陣痛の合間に、分娩室へ自力移動するように言われたときは
「鬼か?」と思いました。やりましたけども。
旦那も無事に到着し、いよいよ出産です。
いきみ方とか呼吸法とか教わり、陣痛に合わせていきみます。
ちなみに、初産の場合は分娩台に乗ってから2~3時間かかるのが平均だとか。
なので、助産師さんが「もうちょっとだからね!」って言ったとき
思わず「もうちょっとって、どれくらい?」って半泣きで聞いた記憶があります。
6時半くらいにはって言われて、初産にしては随分早いなと思いはしたものの、
「あと30分これが続く」って永遠の苦痛に等しかったです。
ところで、私の中では痛みのあまり我を忘れて旦那を思い切り罵倒する予定だったんですが、
そんな楽しいことはついぞ起きませんでした。
残念無念、悔やまれます。
3/27 6:19 出産助産師さんに「足、閉じない!」と言われて、
思わず「無理!」って叫んだらすぽーんと産まれました。
途端に悪夢のような痛みがスッと消えたので驚いた。
赤子はホギャホギャホギャと短いスパンの産声を上げ、
オギャーオギャーじゃないんだなと思ったのを覚えています。
その後、生まれたての赤子を胸に抱きました。
3/27 8:30~ 病室に戻る産後の処置をあらかた終え、病室に戻りました。
スピード出産だったため体力をそれほど失っておらず、比較的元気でした。
産後ハイみたいなものもあったかもしれません。
病室に届いていた朝食。

五臓六腑に染み渡るとはこのこと。
朝食、めちゃくちゃ美味しかったです。モリモリ食べました。
以上です。
早産となりはしたものの、
赤子は産まれてみたら3000グラムオーバーという立派さでした。
その体重じゃ、どちらにしろ出産予定日まではもたなかったでしょう。
両親学級を受けるギリギリまでお腹にいてくれたことに、感謝ですね。
出産後は……そうですね、全身の筋肉痛とか骨盤のあり得ない痛みとか、
身体のあちこち節々そこかしこが痛いという、
陣痛とはまた異なる痛みに耐える日々が待ち受けていたわけですが、
全ては赤子という天使のような存在が帳消しにしてくれます。
あっ、産院でお祝い膳というフルコースが出まして、
それが激ウマでしたので載っけておきます。



オードブル! 肉! ケーキ!!
って、うはうはしながら食べました。
産院の食事は全て美味しすぎました。天国だった。
しかしながら31日には、母子ともに退院となりました。
今はまだ私が本調子ではないのですが、徐々に回復はしています。
赤子のお世話と体調回復とを第一にしつつ、
途中で放り出してしまったお仕事の方も再開し始めました。
人生の一大イベントを経験したので、今年の私は一皮剥けたはず……!
育児も仕事も、楽しくできたら良いなと思っております。
それでは、本日はこの辺で。
かなりの長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
恵莉ひなこでした。